切り株に可愛らしく座る鳩をスマホで撮影しようとしたところ、一瞬だけ鳩を写したのち充電が切れ、私の油断し切った顔面がスマホの暗黒画面に映し出された。

鳩を見ていた筈なのに、何故自分と見つめ合っているのだろうか。
意図せぬ自分との対面は精神衛生的によろしくなかった。
せめて鳩の可愛さを網膜に焼き付けようと熱視線を送っていたところ、通りがかりの老婆に何をしているのかと訪ねられた。

「鳩を撮ろうと思って」
と告げたが、老婆の中で「撮る」が「捕る」と変換されたのか
「そんなにお腹が空いてるの……?」
と、わりと本気で心配された。
恐らく鳩を食すのではないかと あらぬ誤解が生じていたが、その時は深く考えずに
「既に大量に食べましたので大丈夫です」
などと返答した為に、老婆の中で鳩を乱獲し食い荒らす恐怖の地域住人として記憶されている可能性が浮上している。

しかし、充電がない時に限ってシャッターチャンスというものは次々と現れるものである。
この日、卵の殻を咥えスキップしているカラスや、道の側溝の中から顔をこちらに覗かせる猫など、私の瞳孔だけに留めるには惜しい光景が次々と舞い降り、口惜しい思いをしながら帰路についた。

数日後、同じ失敗は繰り返さぬと、フル充電されたスマホを片手に私は意気揚々と近所を徘徊する事にした。 
上機嫌に腹を出し寝そべる猫でも、転がる花びらでも何でも来るが良い。
そう思い 角を曲がった矢先、
上機嫌に腹を出し寝そべるオヤジと、転がるビール缶が視界に現れた。

対極に位置するものが出てきてしまった。
「腹を出す」に続く言葉が「猫」か「オヤジ」かによって、社会に及ぼす影響に大幅に違いが生じる事を身をもって知った。
何故充電に余裕がある時に限って、画像フォルダに収めたくないものが出現するのだろうか。

本日初の通話相手が警察となってしまった。
横たわるオヤジはおそらく近くの公園の花見からあぶれたのだろう。
寝苦しかったのかズボンを下げパンツが丸見えなうえに「ズボンも上げぬ、退かぬ」を繰り返すbotと化した為、せめて周りに見えぬよう持っていた手拭いを被せてやる事にした。

結果、オヤジの股間に「祭」の文字が君臨し、妙にめでたい雰囲気が漂ってしまった。
「ひょっとこ」の稽古を積んでいる私の頭の装備である「祭の手拭い」が犠牲となったが、ひょっとこの面の方を被せるよりかは視覚的にマシであろうと判断した最善の策である。

途中、どこかの爺さんが犬の散歩で横切ったが、犬が寝そべるオヤジの匂いを嗅ごうとした際に
「鼻が詰まるぞ」
と呟き、自分の方へ犬を寄せ去っていった。
花粉と同等の扱いである。
私はオヤジの「祭」を眺めながら警官の到着を待つという奇妙な時間を過ごした。

その後、我が家の猫を大量に撮影する事で、私はその日の均衡を保った。


【余談】
因みに、近所に住んでいる中国人が何とも言えぬ表情で去っていき何事かと思ったが、中国語に詳しい方に訊いたところ「祭」という文字にはあちらでは「捧げ物」という意味合いがあるらしく、日本でなければ危うくオヤジは供物と化すところであった。

オヤジは無事である。
今もたまに最寄駅で見かける。


【参考画像】

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